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「ゾルターン・バラニ氏レクチャー」(2.1)からのレポート
金曜日の夜7時からという遅い時間にも拘わらず、約1時間半にわたって開かれたゾルターン氏のレクチャーには大勢の方が訪れ、ゾルターン氏とストーンのどこかミステリアスでロマンティックな関係など、ビデオとスライドを交えた説明に聞き入っていました。
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ゾルターンさんのアトリエを撮影した「誰かの日常の糧」というタイトルのビデオを見ながら
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私が愛用している石のマグカップは4〜5日という長い時間をかけてつくられた。手づくりの良さがあるし、何より壊れることなく一生使える。私にとって、石をどういうふうに手に入れるか、その方法は大切だ。輸入の石は高価過ぎるので、唯一の方法として採石場から手に入れる。適切な石を選ぶためには、石と親密な関係でいなければならない。割れたり、筋があったりという石でも、高価な御影石より価値がないとは思えない。努めてそういう石を使うのは、石が持つ美しさを表現したいからなのだが、私にとっては石の美しさよりも、石との関係のほうが重要なのだ。
しばしば石が私を助けていると感じるし、扱い方を示してくれる。割ったり、カットする時など、彼ら(石)は、よく手伝ってくれたり、アドバイスを与えてくれ、私を一人きりにはしない。石と私はバラバラの存在ではなく、共存の関係にあるのだ。
謙虚に尊敬の心をもって、自然に感謝しながら石に取り組む。長い年月を経てつくられる石は全く驚異だ。石の神髄を伝えることは、私の役目だと思っている。しかし、果たして私にはその資格があるのだろうか。
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ゾルターン氏が自らつくったというアトリエ内の樫の木の階段や、庭にある水車のビデオを見ながら
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彫刻も家づくりも同じことだ。庭の水車は石灰岩でできているが、 石英の小石を入れることで石灰岩が徐々に擦り減り、互いに削り合って彫刻している。私が削れば半時間で出来上がるが、この石の水車の彫刻が完成するのに2年はかかる。最後の最後になってからわかること、どんなに解き放たれるかが。
想像することは、どんな時でも私を生かす。私のアートは内面を成長させてくれる。私の天職は石の彫刻家。生きる糧。この仕事なくしては生きることはできない。
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以下はアトリエの庭に置かれた作品のスライドを見ながら
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はめこまれた小石U(四角い石の枠に小石がはめこまれている)
石の中に小石をはめこむのは、中の石がほぼ守られているという意味をもつ。これまで削られてきた石も、もう削られることはないのだから。
はめこまれた石(初期の作品。1よりも大振りの作品。)
ちょっとした間違いを起こした。石のサイズを間違えて、入れることも持ち上げることもできずにそのまま。
壁の中の小石(はめこまれた小石シリーズを立てた作品)
据え付けることを心みた。あとでこの作品は壁になる。中にはめこむ小石に合わせて、外枠の四角い石を削り、入れたもの。
ポット(120リットルの水が入る注ぎ口と取っ手がついた作品)
プラスティックは好きではないので石でポットをつくった。丘の上に家があるので水を運ばなければならず、水を入れておくために手だけで彫り半年かかって完成した。
はめこまれた小石シリーズ三部作(楕円形の石の中に四角いキューブ状の石を入れ、さらにその中に小石をはめこんでいる作品)
この作品には精神的なテーマがある。一番重要なのは中心の小石。キューブ状の石が大きな石に守られている。実は個人的なことを表しているのだが、解釈は見る人に任せたい。
手で回す石臼(日本でも昔農家にあった石臼と同じ原理だと思われる)
全部をノミで作ったので完成まで3ヵ月ほど要した。
石の食器(石を丸くくりぬいた小型の手つき丸鍋といった感じ)
中の形が私には興味深い。毎日これを使っている。カップや皿も花こう岩、これで日常生活を送っている。
はめこまれた小石の最初の作品(大きな石がくりぬかれ、中に小石がはめこまれてできたすり鉢。すり鉢状のところにはスパイラル模様がほどこしてある。)
すり鉢の中の小石は花こう岩、外は響岩でできている。スパイラルはグルグル回しながら、端のとがったハンマーで彫った。実際に穀物をひいて小麦粉を作ることもできる。
大量生産ではなく、自分の手でつくっていくことが大事。やがて、石の声が聞こえてくる。石の声は異なるが、石の声をよく聞いて感受性を研ぎ澄ます。私はこのようなやり方でずっとつくってきた。創造するのではなく、謙虚に、自分が道具になって生み出していければと思っている。
人間の一生は一瞬で石よりも長く生きられない。だから長く生きて石から多くのことを学びたい。これが私の天職で、これが私の生き方だ。
小石は小さくなっていくのに時間がかる。おもしろいことに大きい石が若い石なのだ。木や自然の中にあるものは永遠で、そこには特別な精神がある。日本では自然から学ぶことができるので、私のような考え方は受け入れられやすいのではないだろうか。ハンガリーではものと話すのは、あまり普通ではないと思われている。東洋の思想はこういう文化を育んでいると思う。私が日本に来た理由は石の文化の水準が高いと聞いていたから。私はドイツで彫刻を学んだが、最後に学んだ教授は日本人だった。私は数千年前から行われてきた石を削っていくやり方を彼から学んだ。私がエジプトに旅したのもこういった文化が高いと聞いていたから。もしも作品を作り続けられなかったら落胆していただろう。
私の精神的なテーマは三つある。一つは8年前の大学時代からの小石の作品。これは家族を表している。三次元のパズル作品もつくった。それは木を接合してつくる建築と同じで一度接合すると離れない。一つは内面、一つは外側の世界。この二つの石はあまり語らなかったが、わからないことが良いのだと思う。二つ目は石臼、三つ目は「はめこまれた小石」のシリーズ。この三つ目を青森で制作した。
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レクチャーが終わった後で会場から寄せられたQ&Aです
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Q1
この地域(ACAC)からの影響で作品は変わってきましたか。
A この土地からは非常に大きな影響を受けました。まず、あまりにもたくさんの雪があったので作品を見ることができませんでした。ハンガリーはあまり雪がないので、雪の中で働くことは私の普段の生活とは全く違っていました。内面的な強い影響、私の可能性を探る大きな影響を受けました。
Q2
彫刻との出会いは。
A 中学の頃、進路をどうするのか考えあぐね、結局、芸術高校の彫刻科を選びました。はじめてみて1ヵ月で天職だと感じました。
Q3
ハンガリーでは石を使って遊んだりしないのですか。
A 乾いた土地の砂漠地帯で、あまり石はありませんからコンクリートと砂で遊んでいました。しかしおもしろいことに、ハンガリーには良い彫刻家がたくさんいます。
Q4
ビデオに写っていた石山は家から近いのですか。
A 1キロくらい離れています。アトリエには数ヶ月の間、作品をつくるためにいます。この家は父と兄と友人の力を借りてつくりました。
Q5
石との関係とは。
A いつも石が語りかけてくれます。長いこと石を見つめています。こういう状況はなかなか理解してもらえませんが、素晴らしいアイディアが浮かぶ時があります。極めて精神的なことです。ある時、大きな石の内側にノミを入れた時、彼(石)が語りかけてきたのが私にはわかりました。「自分が犠牲にされたくない」。石との感情は、本当この人で良いのかという結婚する時の感情に似ています。内面に語りかけてかけてくるようなボンヤリしたものがあります。作品をつくる時は、エネルギー・家庭・時間…全てを犠牲にしなければならないでしょう。そうでなければ、石は生命を持たないものになってしまうのです。
Q6
石が語りかけてくるのがわかるようになったのは。
A どんどん、そうなってきました。
Q7
センターの印象は。
A 日本はコンパクトな建物が多くて、本当はヨーロッパの方が好きです。ハンガリーでも日本と事情は変わりません。
Q8
これから先の計画は。
A 自分が歩き続ける先が良く見えていません。あまり具体的になると石とのコンタクトがとれなくなってしまいます。
仕事として墓石をつくっていますが、できればつくらなくても済むようになりたいですね。
―こなれない文章になりましたが、ゾルターンさんの生き方や精神を少しでも深く理解していただきたくて、なるべくご本人の言葉のニュアンスを損なわないように要約せずに掲載いたしました。―
文:角谷(広報班)
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